私たち人間は、いつでもポケモンたちとはうまくやっているという甘い考えに囚われている。
序論
私たち人間は、いつでもポケモンたちとはうまくやっているという甘い考えに囚われている。街を歩けばガーディを散歩させる人がいるし、ポケモンセンターに行けばラッキーが治療の仕事を手伝い、工事現場はゴーリキーの助けなくしてはとても仕事が回らない。人間とポケモンの共存社会は既に実現されたとの考えが一般的となるのも無理はない。
ポケモンとの共存可能性について
しかしながら、見方を変えればポケモンは未だに人間に害をなす場合もある。ゲンガーは常に人の命を奪う機会を窺っているし、ベトベトンが通った後は、以後長く草木の育たない荒れ地と化してしまう。ポケモンとの共存を信じて止まなかった人々も、暴れ回るリングマの檻の目の前に立たされれば、それが一部の愛玩ポケモンにのみ通用する夢物語だったことを思い知るかもしれない。
ここまでの論調でお察しのとおり、筆者はポケモンとの共存可能性については極めて懐疑的な立場を維持してきた。彼らは所詮野生生物であり、最終的には本能に従って行動するものであるに違いないと見てきたからだ。
ゴルバットの進化に見た自説への反証
しかし、共存可能性への反証を集めるために、比較的有害とされるポケモンの研究を続けるうち、皮肉にも私は自説への反証を見出してしまうこととなった。それが、ゴルバットというポケモンである。ゴルバットはズバットの進化系であり、その凶悪な見た目に違わぬ恐ろしいまでの吸血能力を持ち、人にとって危険をもたらし得る存在であることは言うまでもない。
ところが、このゴルバットが人間の愛に包まれ、自己の存在に対して極限まで肯定的な意識を強めることが出来た時、このポケモンはクロバットという新たな形態へと進化を遂げる。すると驚いたことに、顔面のほとんどを占めていた大きな口は小型化し、危険極まりない吸血能力はなりを潜めるのだ。
吸血をせずとも十分な餌と愛情を与えられ、他を傷つける必要がなくなったゴルバットにとっての、最適解としての進化なのだろう。それがゴルバットにとっても幸福な結果であることは、クロバットへの進化によって総合的な力強さは確実に増していることが物語っていよう。
おわりに
長く、人間はポケモンと共存することは出来ないとの見方を示してきた筆者であったが、ゴルバットの進化から新たな可能性を見出すことが出来た。全ての凶悪なポケモンたちも、人の愛に包まれ、その共存の素晴らしさを知った時、人と彼らにとっての最適解としての最終進化を遂げるのかもしれない。
口は盲点だった