例えば目の前に木立があって、そこにウソッキーが紛れていたとしても、人は瞬時にそれを見破ることは出来ないだろう。ポケモンの中には、自らの姿を何某かに擬態させることによって身の安全を図ったり、敵の目を欺いたりするものが存在する。
なかには非常に高い隠密技術を誇る種族もおり、例えば先程例に挙げた木立に、ウソッキーだけでなく、カクレオンが大量に潜んでいたとしても、やはり人は呑気に木漏れ日を感じるばかりであろう。
擬態の対象と目的
上記の2例は、いずれも環境に溶け込むことで自らの存在を軽薄化させるという方法をもって隠密化の目的を達成している。しかしながら、逆に自ら注目を浴び、場合によっては神聖視されるほどに貴重な存在に擬態することで、何らかの目的を達しようとした種族も存在するようだ。それが、銅鏡や銅鐸に擬態した、ドーミラーやドータクンといった存在である。
銅鏡や銅鐸といえば、歴史の教科書でお馴染みの青銅器の類であり、主にそれらは祭事や神事に用いられる祭器である。当然、ドーミラーやドータクンはそれらの姿を真似ることで太古の人々から神聖視されたであろうし、邪険な扱いを受けることも少なかったに違いない。
普通に考えれば、ドーミラーやドータクンが身の安全を確保するために、そもそも丁重に扱われる祭器の似姿を得たというのが常識的な歴史考証のやり方であろう。
常識を疑え
しかしながら、常識は疑うためにあるようなものだ。
特に、歴史学のような不確定要素の大海原が如き学問に挑む際には、余計な先入観は邪魔にしかならない。ドーミラーやドータクンがはじめから神聖視されていて、それらを祀り称えるために銅鏡や銅鐸が生み出されたと考える方法もあるのである。重力や神通力を自在に操る彼らの存在が、太古の人々にとって神のように映ったことは想像に難くないだろう。
人とポケモンの関わりを紐解くことは、多くの歴史的事実を明らかにしてくれる。昨今では、10世紀前から人と共にあったとされるキュウコンの記憶にアプローチすることで、歴史を紐解かんとしている研究グループも存在しているらしい。
太古の人々が神聖視した銅鏡、あるいはドーミラーの鏡面に映し出された歴史の真実とは、一体いかなるものだったのか。遠き古の神楽の音は、未だ聴こえそうもない。