先日、とあるポケモン学者仲間から、このような話を耳にした。
「ジョウト地方のとある山寺で、住職たちが熱心に崇めているポケモンがいるらしい」
なるほど、と私は思った。ジョウトでその手の話となれば、恐らくはホウオウかマダツボミに違いない。しかし安牌のつもりで見立てた答えは、いずれも空を切った。せっかくだからと取材に向かった私を出迎えたご尊顔とは、ホウオウでもマダツボミでもなく、そこらの野山で普通に見かけるオタチそのものだったのだ。これでもポケモン学者の端くれ、まさか今更オタチを目にして驚くことがあろうなどとは思ってもみなかった。
「なぜオタチなのか?」と私は住職に問うてみた。彼らがオタチの何に尊さを感じ、崇拝対象として奉るのか。返ってきた答えは、「彼らは究極の利他主義を体現しています」というものだった。
研究室に帰った私は、住職の答えが完全には飲み込めなかったことへの悔しさをバネに、寝食も忘れてオタチの生態を調べ始めた。すると、なるほど、これは面白い。あまりに身近過ぎて改めて知ろうとすることもなかったが、オタチというポケモンの生態は非常に興味深いものであった。彼らが習得する技の数々は、仲間を手助けしたり、自らが得た恩恵を仲間に引き継いだりといった、確かに利他主義と呼ぶに足る特徴を十分に示すものだったのである。
住職の言葉の意味するところをなんとなく理解することが出来、ほっと一息、油断してオタチの姿を眺めていた私に、不意に電流のような衝撃が走った。
尻尾で立って、外敵を見張る。彼らの名前の由来ともなっているその性質は、彼らの防衛本能を体現したものであるとばかり考えていたが、それにしてはオタチの体は、まるで的当ての的のようではないか。敵に見つからないように見張っているはずの彼らが、狙ってくださいとでも言わんばかりの模様を体に記しているのはなぜなのか。
「究極の利他主義」オタチが崇拝される理由が、私にはようやくわかった。彼らは他種族も含めた仲間たちのために尻尾で立って外敵を見張り、いざ非常時に陥った暁には、仲間たちを逃がすため、外敵の目を自らに向けさせる的役を買って出るだけの覚悟を、既に決めているのに違いない。誰しもが、オタチを範に他を第一に行動することが出来たなら、見張るべき敵もいなくなり、誰も尻尾で立つ必要のない時代が訪れるのかもしれない。