Warning: Undefined array key 1 in /home/nostal/trance-cell.com/public_html/wp-content/themes/jnews/class/ContentTag.php on line 86
サトシの“行動力”原点は父親 まだ10歳の少年…心に刻む教え
――物語ではココが「自分はポケモンなのか? それとも人間なのか?」と自身の存在、親子関係に悩む姿が印象的です。その姿に対し、初めて主人公のサトシが自身の父親から受けた影響、思い出を語ります。これまでもテレビアニメ・映画に母親は登場していましたが、このタイミングで父親に触れたことにファンとして一番驚きました。
【矢嶋監督】 映画では、ザルードが赤ん坊のココを10年間育てたあとの物語が展開されています。暮らしているジャングルでサトシとピカチュウに出会い、自分のことをポケモンだと信じて疑わなかったココの胸の中に少しずつ疑問が芽生え始め、「父ちゃん、オレはニンゲンなの?」と自分という存在、親子関係に悩む姿が描かれます。
その中で「ココたちを見てたらさ、パパとの事思い出しちゃった。」などと『ポケモン』シリーズで初めてサトシが父親について言及しますが、父親であるザルードとの親子関係に悩むココの姿を見て、サトシが自分の父親について語らないのは不自然だと思いました。今まで父親について触れることがなかったサトシですが、この“親子の物語”であれば触れるべき理由があるので、父・ザルードと息子・ココの姿を見て、サトシが父親についてどのように思っていたのかは必要なことでした。ココにも言えることですが、育ててくれた親がいるからこそ、自身の存在や行動理由があるはずなのです。また、サトシは見下したりせず、誰に対しても同じ目線で友達になれる少年なので、母親ではなく父親について話すことで、友達のココに寄り添ったのです。
サトシはみなさんがご存知の通り、諦めない、プラス思考の元気な少年です。このサトシの姿、行動の原点というのは父親からの言葉だとすると、行動理由に納得がいくと思いますし、今回のテーマ「親子の物語」に沿っていると思いました。ポケモンマスターを目指すサトシですが、その活動の原動力に家族の存在があるべきだと感じています。それはサトシもまだ、親子愛を必要とする10歳の少年だからです。今回、初めて父親との思い出を語ったことで、サトシの性格・行動の起源が父親からあったことがわかると思います。
――親子の絆で悩むココ、そして父親の言葉が行動の核にあるサトシ…など、映画を観る人たちに“親子”の多義的なあり方を問いかけた作品だと思いました。
【矢嶋監督】 今回のサトシはザルード、ココの関係性を見る第三者の立場として、我々、観客に近い目線で行動しています。なので最初は、母親と少しケンカするような形にして、最後は「話したくなっちゃって…」と自ら母親に電話をかけるなど“甘えん坊”の一面を見せています。この映画を見た人が「当たり前にある“親子”の関係性は、実は特別な存在でかけがえのないもの」と思ってもらえるとうれしいです。
また、映画館には親子に限らず、1人で観に来ていただける大人のファンが大勢いると思います。今年はコロナ禍で実家帰省がなかなかできないこともあるので、サトシのように電話したり、離れていてもいろんな形で“親子”について語ってほしいです。私は35歳ですが、この歳になると親に対して感謝の気持ちを伝えることは恥ずかしくて、伝えられないことが多いので(笑)。
親子というものは、血の繋がりのルーツや姿、形など関係ないと思っています。妻と話したこともあるのですが、例えば自分の息子が病院で取り違えられていたとしても、今の子を一生愛し続けます。その話の中で「じゃ、親子の関係はそもそも何だろう?」となるわけです。形でもなければ、言葉にすることが難しい何かであり、この映画でその“何か”を共有してもらえたらと思います。“親子”の言葉の深さを考えていただき、映画を観終わったあとに手を繋いで帰ってもらえたら作り手として最高の幸せです。人と種族が違うポケモンだからこそ伝えることができた映画になりました。