空たかくから見ると、その島はあるポケモンに似ている。冷たい海流のうずまく暗い海を、背中に大きなこぶをつけてゆうゆうと泳いでいるマンタインである。そのマンタインの背中には龍の背骨のような山脈が古傷のように沈みこみ、何筋かの川がふるびた岩肌に寄りそってすずやかに流れている。少し目をこらせば、血管と見まがう細い脈が見つかった。生気あふれるポケモンが数多くひそむ自然の中に、人々がいのちがけで開拓した道路が通っているのだ。私が研究しつづけたあの時代のおもかげが、まだ残っていた。山に囲まれた盆地にあるコトブキシティや、海沿いに工場の広がるソノオタウンにもそれは認められる。マンタインの右のひれには、キッサキとエイチ湖を白くふちどる雪原が広がっていた。その白く染まった皮膚をよくよく見てみると、木々のとがった葉の上にだんだんと雪が降りつもってゆくのが分かるだろう。森の中に潜む町の一つから、時折、ガラスに反射した光がもれる。シンオウ神話、それが私が研究しているものだ。この地に積み重なった歴史が、はるかなるこのポケモンを、雄大なこの世界でただ一つの存在にまで高めている。私が手にもつヒスイの古地図には、鮮やかな筆使いでテンガン山が大きく描かれている。とはいえ、実際に見てみると、そこまで大きくはない。得てしてそういうものだ。憧れた人の背中も、あの頃の未来も、いなくなったポケモンの思い出も。
地上から見上げれば、すべてがおおきく見える。私たちのような研究者にとってみれば、ときに昔の絵や地図は、公的な記録よりも雄弁に、その時代を生きた者がどのように世界を見ていたかをあらわす。あの時代はまだ、テンガン山は見上げる対象であって、私達が見下ろすものではなかったらしい。きっとシンオウ様の役目だったのだろう。あまり人間が住まぬ頃の世界は、いったいどれほどゆったりと歩んでいたことか。だが、コトブキムラを拠点に、今この地方は着実に成長をとげている。古い文化の、様々なあり方が、ともすれば強すぎる光の前に、露となって消えていく。そのとき、その同じ土壌に新しい文化が朝露を吸い、やがて花を咲かせる。同じ時代の同じ社会の中に、死と誕生、消滅と生成の両方が、並び立つだけでなく、たがいに支え合いながら存在する。かつて存在したであろうポケモンたち、そして今存在するポケモンたち。何が生まれ、何が残り、何が滅びゆくのだろう。私にとってのヒスイ、そしてシンオウの歴史は、そのとき一つの山のいただきにある、雲に隠れた見えない遺跡に形をとってあらわれる。
私はいま、昔シンオウの、ヒスイの人々とポケモンが揃って見上げたに違いない、あのテンガン山を見下ろしている。それは私が優れた人間だからか? 否である。私とヒスイの人々は、そして私のポケモンとヒスイのポケモンは、無論全く違うけれども、ある意味で全く変わるところがない。幾年にもわたり、幾世紀にもそって、一瞬一瞬に、私たちはまだ生きている。やがて消え去る体でもなく、種族でもなく、この”こころ”が生き続けている。しかし、シンオウの、そしてヒスイの人々が伝えつづけた”こころ”とは、一体なんなのだろうか。その答えを、我々は出すことができたと言えるのだろうか。遠い東の空を、一羽のムクホークが飛んでいる。
飛行機がじょじょに高度を下げ始めた。シンジ湖が遠ざかり、いつしか窓から消えたのに気づいた。シンオウのそれぞれの端に位置する3つの泉が、私にここが神話の地であることを思い起こさせた。コトブキ空港につくまで、もう10分もないはずだ。私が飛行機の中から見たシンオウ地方は、このような姿をしていた。アルセウスと三匹の龍、”こころ”を司る神、国を曳いた伝説の巨人。シンオウ各地を巡り、最後にはテンガン山に登る。それは研究のためでもあったが、私はある種の宗教的な、巡礼にも近い心持ちで臨んだ。思い出の影の足取りを、自分の内にしかと捉えるための旅路。大学院を出てから、初めてのシンオウだった。
『凍える天体』は、私が三十代だった頃、シンオウ神話を題材にたぶん初めて出版した本です。つい先日、その版元さんが潰れてしまいまして、しょうがないので、読めると嬉しいひとがいるかな、と思い、許可を得てインターネットに全文公開することにしました。いろいろ調整しながら、こちらは不定期になるけれど、仕事の合間合間に更新していきたいとかんがえています。いま見ると間違っている部分も多いから、参考程度にとどめておいてくださいね。