匿名
/ ハウスデザイナー
男性
2023-07-08 20:44:49

くさぶえ

小さな頃から草笛だけは得意だった。実家のあった田舎から離れてキンセツで働いてる今、人に見せる事も無くなったけど。 田舎に帰っても家はない。家主の婆ちゃんが昔に亡くなったからで、亡くなってすぐ業者がやってきて、残った家もハリテヤマが潰して更地にしてしまった。 そんな田舎に、久々に帰る。 「おまえ、ダーテングの子なんだよ」 叔父さんが病床で、唐突にそう伝えてきた。叔父さんは婆ちゃん亡き後、ひとり残された俺を引き取って育ててくれた云わば育ての親だ。婆ちゃんが亡くなった時の俺はまだ物心ついたばかりで、正直あんまり実家に思い出はない。 でも叔父さん曰く、こうだ。 実家近くの山で、ある時山火事があった。山の三割を焼く大きな火事だったらしい。山を下りて避難していた婆ちゃんが家に戻ってくると、中に誰かいる気配がする。すわかじばどろぼうか、と婆ちゃんは荷物を投げ捨て斧を持ってその正体を確かめようとした。 するとなんと、ダーテングが一匹土間に座っている。ソイツはひどいやけど状態で唸っていて、あまりの恐ろしげな様相に婆ちゃんは最初声も出せずにひっそり覗いていたらしい。でもそのうちダーテングは婆ちゃんに気付くと、ヨロヨロと近付いて何か差し出してきたそうだ。それが赤ん坊の俺。 ダーテングはあちこち焦げてるのに、赤ん坊は大事に大事に葉っぱでくるまれていて、婆ちゃんが思わず受け取ると一際大きな風が吹いて家が揺れた。ハッとした時にはもう、ダーテングは居なかったって話だ。 俺の両親は確かに物心ついた時にはもう居なかった。でも本当に小さい頃、草笛の音色を子守唄代わりに聞いていたような、そんな記憶があったんだ。 そんな荒唐無稽な話を信じた訳じゃないんだけど、何となくもう一度田舎に帰りたくなって有給を取った。車を何時間と走らせて、三十分もかけて山を登ってやっと叔父さんに教えて貰った住所につくと、本当に何もない山の緑がただ広がっているだけだった。空気は少し湿っていて、山頂に霧が掛かっているのが見えるだけ。 実家のあった所は何かの娯楽施設の廃墟になっていて、草や蔦が一面に繁っていた。ふと思い立って、一枚の葉を千切り口元に当てる。 十何年、二十何年か振りの草笛の音は、山々に響き渡って静かに消えた。 特に何かしたかった訳じゃない。生きてるか分からないダーテングに会いたい訳でも、婆ちゃんと暮らしてた頃の感傷に浸りたかった訳でもない。 でも帰ろうとして後ろを向いた時、遠くの山からもう一度、くさぶえの音色が聞こえた気がした。 その瞬間に、ああ有給取ってよかったなあ、って思えたんだ。 叔父さんに見舞いがてらその話をしたらそうかそうか、と笑っていた。キンセツに帰って何か変わった事は特にない。俺の親は相変わらず叔父さんで、俺の家はここだ。 それでも何となく時々、また冬の長期休暇の折にでもあの山に行って草笛を吹いてみたくなるのである。 おわり。
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